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大阪では唯一、醤油の原料から仕入れ、加工までを行う醸造所を持つ醤油製造企業の大醤株式会社。寛政12年(1800年)、堺で河内屋又兵衛が醤油の醸造をはじめ、昭和45年に貝塚市のイヅミイチ(株)との企業合同で大醤(だいしょう)株式会社を設立。200年以上伝統の製法を守り、品質の向上に努める大醤株式会社さんに醤油作りにかける思いをお聞きしました。
最先端の培養技術で生きた醤油を作る
醤油の原料は大豆・小麦・食塩で、麹(こうじ)菌の酵素の作用によって発酵熟成されて作られる生きた調味料です。大醤では、大豆は時期によって品質のいいものを選んでいます。安心・安全を考え、遺伝子組み換えでない(Non-GMO)アメリカ・ブラジル産を使用。丸大豆や脱脂加工大豆を使い、小麦はカナダ産で、塩は日本産のものを使用しています。
色・味・香りと品質の良い醤油を作るために必要なのは「良い麹」です。良い麹が出来た場合にその一部をとっておき、これを次の種麹として使う「友麹」という手法が生み出されました。それを安定した品質で作り出すため、河又醤油の試験所長・今野清治氏が選抜した優良菌を純粋培養で増やし、醤油麹を製造するという画期的手法を明治38年に成功させました。
こうして培養された優良菌を河又菌と命名し全国の希望者に頒布し、のちに開発者の名前を付け、今野菌として全国発売されました。大醤ではこの河又菌(今野菌)を使い醤油の醸造をしています。品質にこだわる姿勢は、現在も受け継がれています。
このような大醤の醤油開発に対する熱意や発酵技術が、日本の醤油の味に大きな影響を与えただろうという逸話があります。
たとえば、今野氏が河又醤油に在籍中、協和発酵工業株式会社(現協和発酵キリン株式会社)の創業者である加藤辨三郎氏が大学の卒論実習の際に、河又醤油を訪れ教えを受けています。また、銚子醤油株式会社(現ヒゲタ醤油株式会社)の取締役製造部長をつとめた山崎善一氏も今野氏のもとで助手として勤務していました。江戸時代から堺で創業している大醤の名前を知る人は多くありませんが、その影響は計り知れません。
地域に根付いた商品作り
歴史と伝統に慢心することなく、醤油をベースに、調味醤油やつゆ、たれ、ポン酢など様々な商品開発もされています。業務用商品や家庭用商品だけでなく、学校給食用にも製造されています。
インスタント食品に添付されている小袋のたれや、回転ずしチェーン店の醤油や甘だれも製造している大醤。知らないうちにあなたも、一度は口にしているかもしれません。
優れた技で地域に貢献してきた大醤株式会社は、2006年堺ブランドの「堺技衆」の認証を受けました。
大醤のつくる本醸造濃口醤油の「新生しょうゆ」は、色・味・香りのバランスに優れ、50年以上前から製造されているとして、大阪産(もん)名品に認定されています。味が濃く、香りも良く、コクがあり醤油の味がしっかりとしてほんまもんの味がします。
泉州かけ醤油は、泉州の名産品にあう調味料を作るという目的で、原材料に地元の河内ワインを使用し、泉州特産の水なすにあうかけ醤油として開発されました。軽やかな風味がお漬物にピッタリです。
吉本新喜劇の俳優・花紀京さんが注文したことがきっかけで生まれた「肉吸い」発祥の店―大阪難波・千日前に、地元の人だけでなく、多くの吉本芸人にも愛されている、老舗うどん屋「千とせ」―があります。千とせの名物料理「肉吸い」とセットで売られている、卵かけごはんの醤油に、地元の醤油を使用したいという依頼があり、コラボ商品として千とせ玉子かけごはん醤油が企画・製造されました。こちらも河内ワインを使用し、だしが効いていて、たいへん人気商品となっています。
当日案内していただいたのは、入社5年目で社長室所属、醤油の味の次世代を担う大橋ユキさん。大橋さんは工場見学では社を代表するガイドとしても、活躍されています。大阪北部出身の大橋さんは入社してから、学校給食で大醤の醤油を口にしていたと知り、ますます醤油つくりに愛情がわいたそうです。見学の最中も醤油について常に笑顔で語る大橋さんは、醤油を家族のように知りつくし愛情を持っているのが伝わってきました。
営業部の津田達也さんも、味だけでなく安全と品質管理に自信のある自社製品を、ぜひ食卓で使っていただきたいと勧めていました。
こちらの商品は、泉州魂オンラインショップでも販売しています。