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泉州北部では古くからガラス玉の製造が盛んで、泉州玉・さかとんぼと呼ばれていました。明治初期にガラス玉の製造技術が広まり、和泉市内はガラス玉の制作が盛んになりました。独特の技法で制作したガラス玉は、「和泉蜻蛉玉」として大阪府知事指定の伝統工芸品に指定されています。その技法を唯一継承している山月工房の二代目・松田有利子さんを訪ねてきました。
伝統工芸品としての和泉蜻蛉玉
父である先代の小溝時春氏が戦後間もなく、ガラス玉の制作を始めたころは、和泉市にはガラス玉を作る職人が大勢いたそうです。当時は単に「玉」と呼ばれていました。玉には、小さい玉・大きい玉・変形などいろいろな種類があり、職人によって得手不得手があったので、それぞれ分業で制作していたそうです。
あらゆる種類のガラス玉を制作できる技術を持っていた小溝氏は独立して工房を構えました―のちの山月工房です。その後、昭和50年代には中国産などの輸入品におされ、ほとんどの職人はガラス玉の制作を止めてしまい、和泉市内で専業職人として唯一、山月工房が残り細々と玉の制作を続けていたそうです。
小溝氏と松田さんは、和泉地方独特の技法を守って作られている伝統技術を残すため、7年もの歳月をかけてその歴史などを研究し、「和泉蜻蛉玉」として大阪府知事認定の伝統工芸品指定を受けました。そして翌年に小溝氏は、大阪府伝統工芸士の認定を授与されることとなりました。
山月工房の2代目で小溝氏の長女である松田さんは、一旦は就職して別の道を歩んでいました。しかし、小溝氏が守ってきた伝統ある仕事を守っていきたい、絶やしたくないという強い思いから、家業を継ぐ決意をしたそうです。子供の頃より父の工房に通い、ガラス玉の制作技術を目の当たりにして育ってきた松田さんは、その技術の習得も素晴らしく、平成17年に大阪府伝統工芸士に認定されました。
伝統技術の中にも新しい感性
小溝氏の技術を受け継いできた松田さんは、伝統技術に新しい感性を取り入れ、作品作りに励んでします。女性ならではの感性で作品を作る松田さんは、「きちんとした製法を守りながらも、父とは使う色合いが変わってきますね」と、笑顔で話してくれました。銀箔を桜や蝶の形に切り抜いて巻き込んだ玉は、大粒で美しい輝きが胸元に映えるデザインです。
和泉蜻蛉玉は、生地と呼ばれる太いガラス棒を複数本束ねて、カンテラという高温のバーナーで溶かしてから、棒に巻きつけて一気に作ります。この時の束ねる色の組み合わせにより、色の出具合が変わってきます。また、玉の大きさをそろえるのにも、長年修業を積まないと難しく、色の組み合わせや、柄の出かたは職人としての勘と経験の賜物だそうです。手作りのため一つ一つ模様の出かたが違うのは、蜻蛉玉の魅力の一つです。小さなガラス玉に宇宙のような広がりを見せる美しさに、古代の人々も魅了されたことでしょう。
独特の技法で作られる和泉蜻蛉玉の工房は、山月工房、ただ一軒です。国宝である平等院鳳凰堂・阿弥陀如来座像のガラス玉復元や大光明寺(東京)・青龍弁才天の宝冠ガラス玉の制作を依頼されるなど、様々な場所で活躍されている松田さん。今後の目標は、和泉蜻蛉玉をもっと広く知ってもらい伝統を消さないように活動していきたいと話していました。