明治より100年間売れ続ける実物大饅頭「斗々屋茶碗」の丸市菓子舗

 茶道三千家の始祖である千利休とかかわりの深い堺。その堺で利休にちなんだ遊び心あふれる和菓子を作り続ける、老舗和菓子店『丸市菓子舗』さんを訪れました。

丸市菓子舗
 

利休の愛した茶碗

 丸市菓子舗の代表的なお菓子の一つである斗々屋茶碗は、明治の創業当時より100年以上作り続けているお饅頭。利休が珍重したといわれる茶碗を模して作られたそうです。

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 初めて実物を見た私はその大きさに驚きました。普通のお饅頭と言えば通常は掌に乗るような大きさのもですが、この斗々屋茶碗、茶碗をさかさまにして置いた状態の形をしていて下になっている部分の直径でおよそ20センチは超えていそうな大きさ。創業当時は小さいお饅頭だけを作っていたそうですが、茶碗の実物大を作ろうということでこの大きさのものも販売するようになったそうです。驚くような大きさなのに毎日30個弱~40個も売れる人気商品です。

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利休が堺の豪商であった判子

 徳島産の和三盆糖を使った利休古印は戦前から70年以上も作り続けているお干菓子です。利休がつかっていた印鑑を模した()()になっていて2種類あります。四角い小さいほうは竹判といって認印のようなもので、丸い500円玉のような大きさのものは納屋判と言って実印のようなものです。一つ一つ薄紙に包まれたお菓子は1日に500個ほど作られるそうですが、1つ1つ手で包むためどうしてもその数に限界があるそうです。

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 納屋判には右側に「今市」中央に「なや」そして左側に書かれているのはキリシタン文字と言われています。今市とは、かつて利休の住んでいた地名で、今の堺市堺区宿院町の利休屋敷跡のあるあたりです。「なや」とは利休の家業が納屋衆(倉庫業)をしていたことからきています。そして興味深いのは左側の文字、利休は隠れキリシタンであったとも言われているそうです。

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新しいお菓子への挑戦

 いくつもの茶道教室にお菓子をおさめている丸市菓子舗が餡を使わない包丁を型取ったぼうろを販売し始めたのは5~6年前。知り合いの包丁デザイナーの方から依頼を受けたのがきっかけだそうです。包丁職人の若い衆が集まるグループでなにか刃物にちなんだお土産物を作りたいと話が出たのが始まりだったそうです。美味しくて日持ちのするものというリクエストや、入れ物も包丁の箱を使うなど工夫がされたそうです。「『堺やからお土産に包丁買うてきたで』と言うて、本物の包丁の箱からお菓子の包丁が出てきたら面白い」と言う、何とも洒落た発想。
 

餡へのこだわり

 自家製のあんこは、こし餡、粒あん、白あん、抹茶餡、などに甘さや硬さを変えたものを常時15種類も用意しているそうです。『茶道教室の先生の希望によりデザインや色を変えたり餡の種類を変えたりとお客様のご要望にお応えするためです』と話してくださった社長の野間様、ありがとうございました。

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 株式会社 丸市菓子舗  詳細情報

取材協力:株式会社 丸市菓子舗
取材日:2014年2月6日
取材・撮影:いしかわいづみ

株式会社 丸市菓子舗

千利休とかかわりの深い堺で、明治時代より遊び心あふれる和菓子を作り続ける丸市菓子舗。お茶席の和菓子も予約販売しています。

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