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江戸末期の安政元年1854年、堺に創業した西尾茗香園茶舗。早くから生産地の宇治に製茶工場を作り、生産量が少なく希少品となった宇治茶を、今も堺で販売し続けている。国内での日本茶の需要が減っている現在、海外への販路開拓やお茶を使った新商品を開発するなど、日本茶を愛する五代目の西尾晋造さんに、熱い想いと開発秘話をお聞きしてきました。
美味しいお茶にこだわり続ける
平安時代より貴族たちが別業(別邸)を建て、自然の景観を愛してきた京都府宇治市。13世紀ごろに茶が伝えられ、このころから宇治茶の歴史が始まりました。宇治の多くの茶園では覆下(おおいした)栽培という、茶摘みの2~3週間前に茶園に覆いをして直射日光を当てない栽培方法がとられています。手間のかかる栽培方法により、色合いとうま味が増し、碾茶(てんちゃ・抹茶の原料)や玉露などの高級茶が生まれます。
現在のお茶屋さんの原点と言える茶商人は「茶師」と呼ばれ、中世より将軍家や大名などと強い結びつきがありました。室町時代より碾茶の良しあしを見極める「御茶吟味役」という役があり、武野紹鴎、千利休、古田織部らが継承しました。
茶の栽培に適した気候や土壌の良さに加え、覆下や栽培の工夫により質を高めた宇治のお茶は、千利休など茶人が使用し高級茶の名声をえました。豊臣秀吉も茶摘み見学をし、江戸時代には将軍家御用の茶を献進した「御茶壺道中」が行われ、歌にもなっています。
江戸時代に堺で宇治茶を売り出した西尾茗香園では、現在でも抹茶や玉露など高級茶は宇治茶を扱っています。本当に美味しいお茶を求めて当主自ら各地の茶園に出向き、実際に飲んでみて美味しいと認めた茶葉のみを仕入れ、宇治市にある自社の製茶工場で精選加工しています。
「量販店よりは、個人で古くからお付き合いいただいているお店が多いですね、関東のお寿司屋さんや住吉大社にも納めています」と話してくださった西尾さん。品質重視のためどうしても、価格は少し高めになりますが、品質や味、栽培方法などを知ると納得です。
新商品の開発にかける思い
「生活スタイルが洋風化して、飲み物の種類が増えすぎた今、お茶を飲む習慣がどんどん減ってますね。そんな時に、堺市から『売れる名品づくり』という事業に参加の依頼が来たんです」。もっと身近に日本茶を感じてもらいたいと、これを機会に新商品の開発をしようと決心し挑戦を始めたそうです。
はじめは抹茶ぽん酢やドレッシング、クッキーまで試作をしていたが、お茶自身の味が押されてしまったたりと、なかなか上手くいかなかったそうです。食品関係の企業に勤めていたころの先輩に料理研究家の広里貴子さんを紹介してもらい、アドバイスをいただいたそうです。広里さんは、和食界では有名な方で、最近話題になったNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の大阪編の料理制作も担当されていた方です。
広里さんから「だしとあわせてみたらどうですか?」とアドバイスをうけ、新商品の方向性が決まりました。しかし、抹茶は光や温度に影響を受けやすいため鮮度の保持が大変だったそうです。
抹茶にも種類があり、覆下栽培をしないで摘み取った茶葉で作る、安価な抹茶も有ります。こちらは、製菓用に使用されることもあるそうです。本当に美味しいものを作りたい、という思いから抹茶は安価なものではなく、覆下栽培の高級抹茶を使用。試作段階で種類の違う抹茶を使い、たくさんの人に味見をしてもらったが、味の違いは歴然だったそうです。
その後も広里さんの監修を受け、ようやく完成したのが「極(きわみ) 抹茶だし」です。「極(きわみ) 抹茶だし」は、海外でも人気があり遠くはベルギーへも販売されています。
日本茶の良さを海外へも広めていきたい
日本国内ではお茶の消費が減っていますが、海外での需要があることに着目しました。
数年前に、ネットのあるサイトで海外向けに商品を紹介するページがあり、そこに掲載していたことがきっかけで、マレーシアの会社との取引が始まりました。
世界的な健康志向のなか、日本茶に多く含まれるテアニンが注目され、海外での人気が高まっているそうです。
マレーシアとの取引をきっかけに、現在はオーストラリアでも販売を開始しました。次の新商品も開発中で、今後は海外での販売エリアもより広く展開していきたいと、熱く語ってくれました。